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「鴨川の家」 (設計施工/惺々舎) |
第一章 伝統構法の本質とその設計手法
この章では、木造伝統構法の本質とその基本的な設計法について解説します。
木造伝統構法とは、かつて人間と自然が共生していた時代に行われていた、木造建築に於ける構造の構成方法を意味します。 その背景となる技術思想の要は「自然の力を尊重する」ということに尽きると云って良いでしょう。人間の力ではなく、あくまでも自然の力を尊重し生かすことが、この構法の本質です。 その構造特性を柔構造と表現されることがあります。木造伝統構法に於ける柔構造は、木材の柔軟で粘り強い特性を最大限に生かし、貫構造(ぬきこうぞう)・差しもの構造・石場建て、そして伝統的な仕口・継ぎ手等の構成要素によって構築することで成立します。 日本の国土の多くは温暖湿潤で、地震や台風が多発する地域に当たります。そのような気候特性の中で、丈夫で、かつ耐久性に優れ、暮らしやすい家の作り方が長い年月を掛けて洗練され、伝統構法という優れた構造の「型」として受け継がれて来ました。 惺々舎の棟梁である私は、親方から技法の基礎を学び、その後現存する古民家の解体工事などを通して研究を深めて来ました。 私は日本の古建築を愛し、先人の叡智の結晶である伝統構法に対して深い敬意を持っています。
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「鴨川の家」 (設計施工/惺々舎) |
御夫婦と小さい子ども達、四人家族が暮らす家として設計しました。 施主の御夫婦は、豊かな自然環境の中で子ども達がのびのび育つことを願って、この家を建てました。郊外の小高い山の頂近く、見晴らしが良く静かなこの土地を選び、御夫婦共に自然の風景に溶け込むような家を望まれ、そして一昔前の暮らし方が好きな御家族でしたので、伝統構法による日本家屋を建てることにしました。 伝統構法は、伝統的な仕口と継ぎ手を用いた軸組と、土壁や石場建て等を組み合わせ、木材の特性を生かした柔構造を構築する「型」によって成立しますが、鴨川の家もまた、その「型」に倣って構造設計を行いました。またこの家では、構造だけでなく間取り・意匠に於いても伝統の「型」を尊重して設計を行いました。 |
「鴨川の家」の建前 |
伝統構法は、日本の広い範囲に亘り構造の基本原理は共通していますが、細部においていくつかのバリエーションがあります。惺々舎が採用する構造は、主に以下の三つの要素を統合することで成立します。 A.貫を用いて構成される「貫構造」 B.差し鴨居・足固め等を用いて構成される「さしもの構造」 C.横架材相互を「相欠き渡り顎」(仕口)によって接合する 柱・横架材・貫・差し鴨居・足固め等の各部材は木組みによって相互に絡み合い、全体が一体となり、外力に対して柔軟で粘り強い有機体のような振る舞いをするように構築されます。その木構造は礎石の上に乗せますが、礎石と木構造は構造上分離することが重要です。 「鴨川の家」の木構造の俯瞰図を示します |
〈図の中で、「貫」は橙色、「差し鴨居」と 「足固め」は赤色で示しています。〉 |
A.貫を用いて構成される「貫構造」 「貫」は主に壁となる部分に於いて、下図に示す仕口によって柱に接合され、貫構造を構成します。そして、壁の下地材としての役割も担います。 |
「両胴飼い楔締め・下げ鎌飼い楔締め」 (イラスト/惺々舎) |
貫は柱を貫通することが原則であり、そのことによって水平荷重に対する耐力に於いて有効に機能します。貫通する箇所は両胴飼い楔締めを用い、貫通が適わない部分は下げ鎌飼い楔締めを用います。
B.差し鴨居・足固め等を用いて構成される「さしもの構造」 「差し鴨居」は開口部上部に当たる部分に於いて鴨居の役割を担い、「足固め」は床組みに於いて床荷重を受け、かつ、それぞれ下図に示す仕口によって柱に接合され、差しもの構造を構成します。 |
「鼻栓締め・込み栓締め・車知栓締め」(イラスト/惺々舎) |
鼻栓締めは、枘(ほぞ)を貫通させ、枘先の栓を増し締めすることが可能な点に於いて優れており、差しものの仕口として最も多用します。差しものの枘先の露出を避けたい場合は込み栓締めを用います。柱に対して双方向から差しものが挿さる箇所は、主に車知栓締めを用います。 「貫」「差し鴨居」「足固め」はそれぞれ上記の仕口を用いて柱と接合されることによって、地震や台風などの水平荷重に対して優れた耐力を有し、「貫構造」「差しもの構造」の構造材の要として重要な役割を担います。 |
「鴨川の家」の建前 |
C.横架材相互を「相欠き渡り顎」(仕口)によって接合する。 横架材相互は、原則として下図に示す仕口「相欠き渡り顎」によって接合します。また、継ぎ手を必要とする場合は、「金輪継ぎ」用います。 |
「相欠き渡り顎・金輪継ぎ」(イラスト/惺々舎) |
横架材をこの仕口で組むことによって、小屋組に於いて、頑丈、かつ柔軟で粘り強い水平構面が構築されます。 |
「鴨川の家」の建前 |
貫構造・差しもの構造によって水平荷重に対する耐力を有した軸組を構成し、かつ、その軸組の柱を小屋組に枘差しすることによって、軸組と小屋組が一体化し、木構造全体が「総持ち」と呼ばれる、粘り強く復元力に富んだ優れた柔構造を構成します。 更に、大地震のような特別に大きい水平荷重に対しては、最終局面に於いて、礎石の上で木構造全体がずれることで力を逃がし、木構造を守ります。礎石と木構造を分離させるのはそのためです。 鴨川の家は、御影石の礎石を用いた石場建てです。土間部分は布石の上に栗材の土台を回し、礎石と木構造は分離させています。 |
「鴨川の家」の建前 |
鴨川の家の壁は全て土壁です。 割り竹を格子状に編んだ竹小舞(たけこまい)で下地を作り、その上に土・藁スサ・砂・水を練り合わせたものを、最初は厚く、徐々に薄く、何層にも塗り重ね、厚さは二寸五分(75mm)以上になります。 |
「鴨川の家」の土壁塗り |
内部は、粘土・砂・藁寸莎(わらすさ)を練り合わせた土で仕上げる中塗り仕上げ、外部の仕上げは中塗りの土に土佐漆喰を配合したハンダ仕上げとしました。最初に厚く塗る荒壁土は稲藁と水を加えて練り合わせ、半年以上掛けて稲藁を発酵させ、その間に何度も練り合わせます。このことによって強度を有した壁を作ることができ、構造全体の耐力を補強します。 |
「鴨川の家」工事中内部 |
ここまで、木構造と土壁の詳細について述べてきましたが、どちらも修理が行いやすいように作られています。 伝統構法による木構造は「構造あらわし」といって、構造材の多くがそのまま見えるように作られているので、傷んだ部分を見つけ易く、修理が必要な部分だけを直したり交換することを容易に行うことが出来ます。土壁も同様に、痛んだ部分だけを剥がし、塗り直すことができます。 修理が容易であるばかりではなく、伝統構法の木組みは一本一本の木を傷つけることなく解きほどくことが出来るので、建物を一旦解体して、別の場所へ移築することも可能です。土壁の土も、一旦剥がして再び藁を混ぜ、水で練り返せば何度でも再利用できます。 このように、手入れをしながら建物全体の寿命を延ばすことが出来、解体修理や移築も出来るように考えられているのも伝統構法の優れているところです。 |
「鴨川の家」の建前 |
鴨川の家に使用した木材の種類は、杉・桧・赤松・栗。 その他、土・竹・稲藁・石もすべて身近に手に入る国内産の材料を使いました。
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「鴨川の家」の建前 |
床組みには足固めが組み込まれ、必然的に床高は高くなります。その十分な床高は、床下の良好な通風をもたらし、湿気のために傷み易い下部構造の木材が常に風に触れ乾燥状態を保ち、建物の寿命を延ばすことに貢献します。 日本家屋の特徴である深い軒の出は、建物への雨掛かりを防ぐことで耐久性を高めるだけでなく、四季の太陽の高さに応じて室内環境の快適性に有効に機能します。高い位置にある夏の太陽の日差しを遮ることで厳しい暑さを緩和し、低い位置にある冬の太陽の日差しを室内の奥まで取り込むことで室内を暖めます。 自然環境の中で丈夫で長持ちし、かつ四季を通して快適に暮らすことが出来るように、長い年月を掛けて培われた、これら先人の叡智の結晶である伝統構法によって伝統的な日本家屋は作られています。 |
「鴨川の家」の建前 丸太の渡り顎仕口 |
世界遺産であり、世界最古の木造建築でもある法隆寺の建築物群は、ここまで述べてきたような伝統構法の柔構造を含む基本原理が建立当時既に確立していたことを証明しています。およそ千三百年前に建立されて以来、法隆寺の建築物群が激しい地震や台風の中で生き残って来たことをもって、伝統構法の叡智が至高のものであることを実証しています。 その基本原理は一貫して変わることなく、第二次大戦の敗戦(1945年)頃までは、民家建築においても伝統構法の原理は日本建築の前提として継承されて来ました。 今では民家建築における継承者は少なくなりましたが、まだ僅かな担い手が存在します。惺々舎もそのひとつです。 |
「鴨川の家」の大黒柱の木組み (イラスト/惺々舎) |
(参考文献) 深谷基弘・鈴木紘子「図解/木造建築伝統技法事典」(彰国社 2001年) 彰国社「建築大事典」(彰国社 1993年) |
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