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私は、伝統構法を研究し実践する中で、江戸・明治・大正・昭和、平成、それぞれの時代の建築の再生・修復・解体工事に携わってきました。
そしてそれら古建築の深奥部に触れ、数百年の間の先人の仕事に触れる中で多くのことを学びました。 かつて、自然と共生する暮らしを営んでいた時代、西洋文明を受け入れて近代化を目指した時代、敗戦によって価値観が大きく変貌を遂げた後の時代、それぞれの時代に人々は何を思い、何を大切にしてものを作り、家を建て、暮らしを営んできたのか。それぞれの時代の建築に自らの身体を持って直接触れる中で、古人の内的な世界を実感を持って感じ取ってきました。 江戸・明治初期の建築に触れた時には、このように思いました。 かつて、こんな風に人々がものを作ることができる、人々がしっかりとやるべきことをやる時代があったんだ。どうしたらこんなことが可能なのだろう。どんな心性を持ち、どのようにこの世界を感じ取ることができたら、こんなことができるのだろうと。 そんな不思議に思っていたことも、「逝きし世の面影」を読んだ時に合点が行きました。そうだったんだ、人々がこんな風に生きて、こんな風に暮らしが営まれる社会では、美しく、生命力のある、いさぎよいものたちを生み出すことができるのだと。 さて、私たちはその地点からだいぶ遠く離れたところまで来てしまいました。 今、私たちは分断され、内なる世界と自然環境は傷めつけられています。 このような時代における、あるべき家づくりのあり方とはどのようなものなのか。私たち惺々舎は、お施主様と共にそれを模索しています。 私たち人間には「自我」という特別な力が備わっています。 その力を自らのためだけに使うこともできますし、共生のために使うこともできます。 どちらの道を選び、どのような未来を作るのか、それは私たちの選択に委ねられています。 そうです。幸福な未来はいつでも私たちの手の中にあるのです。 2021年末 |
惺々舎 深田 真
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