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(第三章のつづき) 4.境界の両義性を重視する理由前章で述べたように、前近代社会に生きる古人にとっては、「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界を往還し、ケガレを祓い浄めながら世界の均衡を図り、全体性を志向することが即ち生きることでした。 そして、古人にとって、家という存在は、人の暮らしを包む小宇宙であり、その小宇宙もやはり自然の摂理のままに、全体性を実現するように作られていました。 世界の均衡を図り、全体性を志向するためには、ふたつの世界を往還し、絶え間ない交流を図ることが必要です。往還・交流するためには、その「境界」「あいだ」が重要な役割を果たします。 「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界の関係において、ふたつの世界が境界において断絶してしまえば、「人間/現実」の世界はケガレるばかりで「いのち」が失われてしまいます。また、ふたつの世界の境界が失われてしまえば、母胎である「自然/カミ」の世界の統合する力によって、「人間/現実」の世界は「いのち」の混沌の中に呑み込まれてしまいます。ですから「境界/あいだ」が、「分割」と「統合」という両義性を有し、隔てながら流れを作るように機能することが大切です。そのことによって、はじめて「人間/現実」の世界は「いのち」ある世界として実在することができるのです。 自然と人間、内と外、自分と他者、現世と他界、それら異なるように見えるふたつの事象は、元々はひとつの根源から生まれたものですから、古人はそれらが分断されることは不自然であると感じていました。 ですから家という小宇宙も、その「境界/あいだ」は、ふたつの世界の関係を閉ざし、断絶するのではなく、関係を繋ぎ、結び、ふたつの世界の間に流れを作り、交流が促されるように繊細な工夫が懲らされていました。そこが「分かち」ながら「結ぶ」相反する機能を有することで、家に「いのち」をもたらしていました。
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「美杉の家」の座敷 (修復工事 設計施工/惺々舎) |
座敷に「床の間」を設け、そこにカミの依り代を祀り、生花や美術工芸品などを供え、「境界/あいだ」に聖なる空間を作ることによって、ケガレを祓い、現世と他界、ふたつの世界の交流を促し、家に生命力を導入する役割を果たします。 日本間と庭のあいだには、必ず縁側か濡れ縁を設けます。 家の内と外、人間の空間と自然の空間の間に、縁側という両義的な「境界/あいだ」の空間が供犠として供えられることによって、ケガレが祓われ、ふたつの世界の交流が促され、そこに「いのち」が立ち上がります。 |
「鴨川の家」の縁側 (設計施工/惺々舎) |
日本家屋の「型」の背景には、外部を、自然を、他者を、異界を迎え入れ、交流することでケガレを祓い浄め、分化した世界を統合し、全体性に近づくことで豊かな生を生きようとする、古人の高次な意志が隠されているのです。
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「鴨川の家」 (設計施工/惺々舎) |
日本人が床坐の暮らし方を選んだ理由は、自然からの恩寵である自らの身体を十全に使うためでした。安楽に暮らすことが目的であれば椅子坐の方が良いのですが、動ける身体を作るためには、腰腹が自ずから鍛錬される、床坐の暮らしが理に適っているのです。 自然と共に生きるということは、自らの身体をもってものを作り、暮らしを作り、すべてのことを行うということです。身体という自然の声に耳を澄まし、自然の理に適った身体作法を身に付けることによって日々の暮らしは営まれていました。それが常に自然に触れ、自然と共に生きる上で前提となる暮らしのあり方でした。
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「美杉の家」 (修復工事 設計施工/惺々舎) |
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