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第二章 伝統構法の背景にある世界観




 伝統構法、そして伝統的日本家屋は、日本の伝統文化と共に長い年月を掛けて培われてきたものであり、その背景には前近代の日本人が共有していた世界観が存在します。この章ではその世界観について考察します。

 家のあり方には、その時代々々を生きる人々の内的な世界が投影されています。
 現代の家と、百数十年前の前近代の家とでは、構造・間取り・意匠・設いが大きく異なります。それは、現代の日本人と、前近代の日本人の内的世界が大きく異なることを意味しています。


1.前近代の社会風景と人々の心性


 前近代の日本人はどのように暮らしを営み、どのような内的世界を生きていたのでしょう。
 それを知るためのとても有効な著作があります。渡辺京二著の「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー刊)です。そこには幕末・明治初期に日本を訪れた外国人から見た日本人の暮らしの様子や社会風景が描かれています。当時の日本人自身では当たり前過ぎて気付くことのできなかった、その特殊な暮らしと内的世界の様子が浮き彫りに描写されています。その様子を見てみましょう。

 当時日本を訪れた外国人たちはこの国を「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と見ていました。
 そして、「その景色は妖精のように優美」「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現われていて」「彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる」そして「どうみても彼らは健康で幸福な民族」「親切と純朴、信頼にみちた民族」であると描写されます。

 さらに、「ほほえみを絶やさない」「楽天的で心優しい」「笑い上戸」「生き生きとしている」「善良で好意的」「親切で愛想がよい」「身ぎれいで礼儀正しい」「物質的な安楽を享受している」「十分な食事を取り、衣食住が豊か」「美しい生活の意匠」「清潔な家屋」「街は多様であり活気に満ちている」「貧しい人の食卓でさえ優美さと繊細さがある」と描写が続きます。


「百年前の日本」(セイラム・ピーボディー博物館蔵 モース・コレクション/写真編 小学館 より)
「百年前の日本」(セイラム・ピーボディー博物館蔵 モース・コレクション/写真編 小学館 より)


 私たちは一般的に、前近代の封建社会において、庶民は自由がなく、圧政に苦しめられ、テクノロジーは未熟であり、貧困で厳しい暮らしを余儀なくされていたと想像しがちです。しかしこの著作には、現代よりも遥かに制約の多い社会制度と生産性の低いテクノロジーの中にありながら、貧困や悲惨や野蛮さよりも寧ろ、現代人である私たちにはほとんど信じられないような、素朴で美しく、幸福に満ちあふれた人々の暮らしや社会風景が描かれています。そして明治維新以降、この国が近代化に勤しむことで失った大切なもの、心の豊かさ、本当の幸福な暮らしのあり方がひとつひとつ丁寧に明らかにされます。

 私は、この著作に描写されていることは真実であると思います。そしてその時代は、現代よりも遥かに社会に幸福感が満ちていたことは間違いないと思います。

 では、どうしたら私達はこのように生きることができるのでしょう。
 それを探求するために、前近代、主に江戸時代後期の日本人が認識していた、この世界の本質や根本原理について考察します。その手掛かりとして、まず「自然と人間の関係」に着目したいと思います。


2.前近代における「自然と人間の関係」


 西洋文明の影響を強く受ける前の前近代社会では、人間は自然環境から直接恩恵を受けて暮らしを営んでいました。衣食住すべてが自然からの恩恵で成立していました。
 衣服は、麻・木綿・絹などから。食料は、田畑からの農作物、海・河川からの魚介・海藻類、山の鳥獣や山菜・木の実・キノコ類など。住まいは、森林からの木材や竹、大地からの土や石や草を材料として。人間の暮らしのすべては、これら自然からもたらされた恩恵によって成り立っていました。

 自然からの恩恵がなければ人間は生きて行くことができないという事実を日々実感し、自然への感謝の念と共に生きることが、前近代の日本人の暮らしでした。
 人間は、母なる自然から生まれ、やがてまた母なる自然の元へと還ります。自然の力によって人間は生まれ、生かされ、命尽きて自然の世界へ還ります。
 自らが自然の循環の一部であるという実感の中で日々を暮らし、それがこの世界の根本原理であるという感覚を共有していました。


世界観 自然の一部としての人間
「世界観」 自然の一部としての人間


 しかし一方で人間は、人間と自然、自分と他人とを区別する「自我」と呼ばれる意識を持ち、人間以外の生き物たちとは異なる面を持つ存在でもあります。
 人間は自然の一部でありながら、自らの都合で自然に手を加え、自然を大きく改変し形成することもできる特別な存在です。現代人のように、自らの生存環境が脅かされるところまで、自然環境を破壊してしまう力を持っています。

 それでは、自然の一部でありながら、他の生きものたちとは異なる特別な力を持ったアンビバレントな存在として、前近代まで、先人たちは自然と共生し、環境を美しく保ち、幸福に生きるために、どのように自らの力と折り合いをつけて暮らしを営んでいたのでしょう。


3.「自然と人間の関係」をハレとケの概念から考察する


 かつての日本人が、自然と人間との関係をどのように捉えていたのか、それを知るためには、「ハレ」と「ケ」という概念が手掛かりになります。これは民俗学者の柳田國男(1875~1962)が提唱した概念です。

 日本人の伝統的生活態度の特徴は、社会生活を営む上で、ハレとケを区別することでした。ハレは非日常の時間と空間、ケは日常の時間と空間を意味します。そして、ハレとケの概念、そしてその関係性のより分かりやすい説明として、民俗学では次のような説が出されています。
 それは、人々がケ(日常)の世界を生きる中で気が枯れ、ケガレ(気枯れ)状態から生命力を回復するために祭礼などのハレ(非日常)の世界が設けられる、というものです。
 つまりその説では、相互補完する「ハレ」と「ケ」というふたつの世界の存在、そしてそのふたつの世界の媒介項として「ケガレ」(気枯れ)を設定し、ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレ…、という循環の中で暮らしが営まれていたと説明されます。

 この循環の概念に、私独自の解釈を加えて以下に説明します。

 まず前提として、この世界観は、アニミズム的な世界観がその背景にあります。
 アニミズムとは、すべての存在に霊魂や精霊などの霊的存在が宿るとする世界観です。これは呪術・宗教の原初的形態のひとつだといわれます。前近代までの日本人は、物質的存在の背後に霊魂や精霊を感じ取る優れた感受性を持ち、アニミズム的な世界観を共有していました。そして、そのアニミズム的世界観の中に「ハレ」と「ケ」というふたつの世界が存在します。

 「ケ」(日常)の世界とは、人間の日常の世界、かつて「現世」と呼ばれていた、私たちが生きるこの物質的な現実世界を意味します。この文中では、この世界のまたの名を「人間/現実」の世界と呼ぶことにします。

 一方の、「ハレ」(非日常)の世界とは、人間に生命力を与えてくれる自然の世界です。自然といっても、物質的な自然ではなく、目に見えない自然の生命力の世界であり、霊的な世界、あるいはカミの世界と呼んだ方がイメージがしやすいかも知れません。ここでいうカミとはもちろん一神教的人格神を指すのではなく、森羅万象に宿るアニミズム的な神々や霊的存在を意味します。この世界は、かつては「他界」「異界」「常世」などと呼ばれていた世界を意味します。この文中では、この世界のまたの名を「自然/カミ」の世界と呼ぶことにします。

 現代人の多くは、目に見える物質的な現実世界(ケの世界)を唯一の世界だと信じて生きていますが、かつての日本人は、物質的な現実世界の背後に、目に見えないもうひとつの世界(ハレの世界)が隠されていることを知っていました。

 人は「人間/現実」(ケ)の世界を秩序立て平穏な世界として維持するために、様々な社会的な制約・規制の中で変化の少ない単調な日常を送ります。そして、そのような現実社会を生きる中で、人間の生命力は減退して行きます。つまりケガレ(気枯れ)の状態が進行します。そのケガレを払うために、「人間/現実」(ケ)の世界から離脱し、自由で活力があり神秘的な「自然/カミ」(ハレ)の世界へ赴き、そこで生命力を更新し、再び「人間/現実」(ケ)の世界へ帰還します。そして、やがてまたケガレが進行し、循環が繰り返されます。


「世界観」 ハレの世界とケの世界の往還

「世界観」 ハレの世界とケの世界の往還


 この世界観が実感を伴って共有されていた時代には、人々はケガレの状態が進行することは災厄を招く、という自然の摂理をも共有していました。「自然/カミ」(ハレ)の世界と「人間/現実」(ケ)の世界を往還し、ケガレを祓い浄めながら二つの世界の均衡を保ち、双方の世界を健やかに保つことが、幸福に暮らすために何よりも大切なことであるという認識を共有し、暮らしを営んでいました。

 ケガレを祓うために、「自然/カミ」(ハレ)の世界と「人間/現実」(ケ)の世界を往還する、その典型的なかたちは「祭り」や「通過儀礼」の中に見られます。

 通過儀礼とは、人生の節目である妊・産・生・冠・婚・厄・祝・死などの折りに繰り返し行われる儀礼であり、誕生から死に至る過程で「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界を何度も往還します。
 それが具体的にどのようなかたちで行われていたのか、分かりやすい例として、ここでは子供の祭りと通過儀礼の内容について考察します。


4.子供の祭りと通過儀礼から見る「ハレ」の世界


 民俗学者の飯島吉晴の著作「子供の民俗学」(新曜社刊)を参考にして、かつての子ども達の行事を見て行きます。

 前近代社会では、子供組が関わる行事が数多くありました。
 道祖神祭・モグラ打ち・成木責め・嫁叩き・ホトホト・盆釜・精霊流し・地蔵盆・お雛粥・カンナバレ・馬追い・印地打ち・七日盆・牛神祭・虫送り・十五夜・亥の子・十日夜・天神講など。
これらの行事の原型に共通した特徴を見てみましょう。


4-1. 子供の祭りと通過儀礼の特徴 その一

 「正月・盆・節句など季節や年の替わり目に行われ、また、道祖神・地蔵・山の神・天王様・天狗など村境に祀られる神や祟り神が多く登場する。また、盆釜行事では、辻・門・河原・磯ばた・海のほとり・丘の上・橋の袂などを祭場として共同飲食が行われた」

 「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界の往還は、時と場所を選んで行われます。行われる時期は、季節の境界、年の境界を選んで行われます。場所は、村と村の境界、人間と自然の世界の境界、現世と他界の境界を選んで行われます。
 時間の「境界」とは、行く年・行く季節の終焉と、来たる年・来たる季節の誕生の接点です。時間における「死と生」、「過去と未来」の一瞬の接点の交流によって時間にいのちが導入され、新たな有機的律動と時間の流れが生成されます。
 空間の「境界」とは、古人にとってそこは現世と他界の接点であり、その先は未知の世界、死の世界を意味していました。そこもまた「死と生」が交流する接点であり、現世へいのちが導入される拠点を意味していました。


4-2. 子供の祭りと通過儀礼の特徴 その二

 「屋外の祭場に仮小屋を作り、そこでお籠もりをするなど小屋行事が多く、たいてい祭りの当日にその小屋を焼き払う。また、禊祓や災難除け的な行事が多く、形代や神体を火で燃やしたり、水に流すなど火と水の呪術が伴う」

 「お籠もり」は、祭儀の中で大切な要素です。それは、参入者が「人間/現実」(ケ)の世界から一旦離脱し、隔離され、暗く小さい小屋などの空間に包み込まれる形で行われます。
 宗教史学者のエリアーデ(Mircea Eliade 1907~1986)は、この小屋は母胎をあらわしており、お籠もりとは、母体回帰であり、死と再生の象徴的行為であるといいます。
 通過儀礼が成立する背景には、輪廻転生の死生観があります。通過儀礼は、人生の中で死と再生を体験することを通して、成長を促すための儀礼です。そしてそれは、人が転生を繰り返す存在であるということに実在性が感じられることを前提として、初めて成立するものです。
 前近代では一般的であった土葬において、死者は胎児の姿勢を取って埋葬されます。死者に胎児の姿勢を取らせる理由は、死が生に繋がることを意味しています。前近代までは、死は生の終わりではなく、生の始まりを意味していました。死をいつも身近に置き、死と再生を繰り返す中で、生命力を更新し、魂の成長を志向することが前近代の死生観・世界観でした。


「世界観」 「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界の往還/輪廻転生
「世界観」
「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界の往還/輪廻転生

 またお籠もりでは、子ども達だけで幾晩も親を離れて寝起き飲食を行っていました。そしてその中で、子ども達が夜の「闇」を体験することにも大切な意味がありました。夜はカミの時間であり、子ども達にとっては怖ろしい時間ですが、だからこそ大切な意味がありました。自然の摂理の中では、植物の種が土の中で発芽するための力を蓄えるように、動物たちが冬籠もりするように、生命力は暗い場所に籠もることで更新されます。

 柳田国男は、本来は「籠もる」ということが祭りの本体であったと述べています。  人がカミの御前で夜通しもてなし奉仕することが祭りの本来の姿であり、近代になって祭りが形骸化されるまでは、夜の闇の中でカミをもてなし、カミから生命力を付与される体験こそが祭りの本体でした。

 闇に籠り、「死と再生」を体験し、生命力を更新することが本来の祭りのあり方だったのです。その祭りの最後には、小屋や形代が燃やされ、あるいは川や海に流されます。燃やすこと、水に流すことは、カミの依り代を「自然/カミ」の世界へ送ることであり、ここでも子ども達は象徴的な「死」を体験します。これは、カミへ供犠を捧げる行為でもあり、「自然/カミ」(ハレ)の時間の終わりにはその跡形を残さず、無に帰し、供犠となった形代と引き替えに子ども達は生命力を携えて、「人間/現実」の世界へと帰還するのです。


4-3. 子供の祭りと通過儀礼の特徴 その三

 「競技や対抗の要素、社会の秩序性とは相容れない反社会的な言動が容認され、唱え言や性的・猥雑な文句を大声で唱える、楽器を打ち鳴らして騒音を発す、呪力のある棒を持って、大地・家・嫁などを叩きながら祝福・呪詛の言葉を述べる、餅や銭などをねだったり、盗みや物乞いを伴う」

 「自然/カミ」の世界の中では、社会の秩序性から逸脱した反社会的な言動が容認されます。より端的に言えば、子ども達に敢えて「悪」の体験をさせるのです。子ども達の行事において「自然/カミ」の世界の中で何故あえて反社会的な言動、「悪」を体験させるのでしょうか。
 このことを考察する中で、この国の前近代の世界観の本質が見えて来ます。

 スイスの心理学者ユング(Carl G. Jung 1875~1961)は、人の心の働きを研究する中で、人の意識を、「意識」と「無意識」に分けて心の深層を分析探究しました。
 ユングは無意識の中に存在する代表的なものとして「影」(shadow)を挙げ、それを次のように説明します。「影」とは、人格の否定的側面、隠したいと思う不愉快な性質すべて、人間本性に備わる劣等で無価値な原始的側面、自分の中の他者、自分自身の暗い側面などである、と。
 そして「影」は無意識の普遍的な層にも含まれる根絶できないものであり、それは実体化する度合いが低くなればなるほど、より暗く濃密になり、もしそれが抑圧され孤立するなら、気づかぬうちに表に突然あらわれやすく、そして秩序立った自我を驚愕させ、圧倒する力を持つ。さらに、「影」は身近な人に対する強力で非合理な投影となって現れ、個人的な好き嫌いだけでなく、残酷な偏見や迫害をも生じさせる。そして「影を認めることは、影の強制的な支配力を断つことである」といいます。

 ユングのいう「影」とは「そうありたいという願望を抱くことのないもの」。つまり、心の中にある悪や闇や死などのマイナスイメージを持たれるものの総体です。それら、私たちの無意識の中にある悪・闇・死などは、意識化される機会がなければ極端な形で現実の世界に表出するか、若しくは私たちの心に強制的な支配力を行使します。それゆえ心理療法では普段意識化されることのない無意識の中の「影」を、夢分析や箱庭などを通して意識化し、「影」と直面することを目的のひとつとするのです。

 このように考えると、祭りや通過儀礼は、無意識の中にある「影」、つまり悪・闇・死などを表現し、敢えて体験させ、「無意識」の内容を「意識」化させることによって、「自然/カミ」の世界と「人間/現実」の世界、双方の世界を健康に保つ働きをしていたことが分かります。