棟梁オススメの一冊②

前回に引き続き、

棟梁オススメの一冊②の紹介です。

【心理療法序説】

河合隼雄著 岩波書店

親方からこの本を推薦された時、驚きました。

私が大学のゼミで心理学が専門の先生の研究室にいたことを告げていないのに、

なんで心理学の本を紹介してくれたのだろう?

大工と心理学の話に、共通点があるの?

このような疑問を抱えつつも読み始めると、

河合氏の心理療法に対する考え方に引き込まれていきました。

大学時の授業を時々思い出しながら、この本を読みました。

本の話をする前に、

少し、大学時代の話をさせてください。

ゼミの先生の専門が幼児心理学であったことから、私は心理科に分類され、

心理学専攻の人が受ける講義をいくつか受講しました。

心理学専攻は、臨床心理士や児童養護施設、学校の心理カウンセラーなどの専門職員を目指す人が多く在籍するコースです。

そこで、心理学の一般的な基礎知識や統計学、社会心理学、実験心理学、教育心理学、発達心理学、臨床心理学などの授業を受講しました。

心理学は、その研究対象が人間です。

なぜ人はそのような行動をとってしまうのか?

なぜ人はそのような気持ちになってしまうのか?

などについて調査法や実験などを用いて、サンプルによる偏りを考慮しつつ、科学的な因果関係の法則を発見し、分析を試みます。

どうしていじめは起こるのか?

どうして思春期になると大人に対して不満を持つようになるのか?

私たちが普段意識することなく、何気なく感じてしまうことやそう行動してしまうことの裏に、どのようなメカニズムが隠されているのかを解明していくことは、

自分の行動や感情を分析し、自分の中の知らなかった部分を知っていくような過程であり、面白かったことを覚えています。

私はそれまで、自分の行動や感情をすべて自分の意識によってコントロールしているし、

そうできるものだと、何の疑問を持つこともなく思っていました。

しかし、なぜ自分がそのような判断をしたのか、

なぜそのように行動したのかを一つ一つ思い返してみると、

「なんとなく」や

「そうした方が良いと思ったから」など、

とても曖昧なことが多く、言葉で説明しようとするととても難しいことに気が付きました。

むしろ、はっきりとした意識で

「このような要因があったから」だと、

その因果関係を明確に説明できる物事の方が少ないと感じ、

フロイトの仮定した意識の深層部にある無意識の存在を認めるようになりました。

自分が思っている以上に意識は表面的で、

無意識が自分の行動選択の多くを決めている

と思うようになり、

「無意識」という領域にとても興味を持つようになりました。

ユング心理学については、心理学の学派の一つとして学びました。

その時に河合隼雄さんの名前も聞いた気がします。

その当時はユングに深い関心を惹かれることもなく、フロイトやヴィゴツキーなどの心理学者と同じように、そのような心理学者がいたということを知った程度でした。

この本は、ユング心理学について書かれた本ではありません。

専門用語が羅列してあったり、

その方面の基礎知識がないと理解できないような専門書ではありません。

どんな方にもわかるような言葉で、

心理療法とは何か、

心理療法では治療者と患者(クライエント)の間ではどのようなことが行われているのか、

治療過程の中での犯しがちな誤った認識や失敗などにも触れ、河合氏の思われる心理療法のあるべき姿、

そして、心理療法に臨む臨床心理士はどのような態度・姿勢でクライエントと向き合っているのかなどについて語られています。

とても印象的なのは、河合氏の言葉の扱い方です。

ここに述べる自分の考えはあくまで河合隼雄の考えや方法、感覚であり、

それを絶対として決めつけるのではなく、

考えの一つとして受け取ってもらいたいという謙虚な姿勢を感じました。

控えめであり、誤解を招かないようにとても丁寧な言い回しで語られています。

ここに、心理療法においてクライエントを前にした時、

治療者から出る一言一言、一挙手一投足が、

クライエントの治療過程に大きく影響してしまうという臨床心理士の性を感じるとともに、

河合氏の他者に対する姿勢を伺えます。

はじめに、心理療法とは何か、

心理療法のモデルについて河合氏は語ります。

一般的に言って、心理療法に西洋医学のモデルを期待される方が非常に多いと言います。

これは、自然科学の因果関係のように、

症状の原因を発見し、その原因を取り除いたりそれを弱めることによって、治癒する

という流れです。

クライエントは常に受け身であり、

治療者が主体となって症状を”治す”という考え方です。

しかし、心理療法ではこのモデルは役に立たないと言います。

河合氏の感覚として近い心理療法のモデルとは、

症状を訴えるクライエントが主体であり、

クライエント自身の自然の力で解決を期待するという点、

また、治療者とクライエントの主観的な関わりを大切にするという点で大きく異なると言います。

私はこれを読んで、はっとしました。

自分が気づかない間に、私も

「問題→原因の把握・発見→原因の除去→解決」

という因果関係によって物事を考える癖がついてしまっていると思いました。

文中で河合氏はこう述べます。

「現代は孤独に悩む人が多いが、その一つの原因として、自分の思うままに他人を動かそうという考えに知らぬ間にのめり込んで、結局のところは人と人との「関係」を失ってしまっていることが考えられないだろうか。」(本書61頁より抜粋)

近代科学において、

実証性・再現性・客観性は非常に重要であり、

そこでは対象と自分との間に明確な切断が前提となります。

私はつい人間に対しても、自分の心に対しても

この方法を当てはめようとしてしまっていたことに気がつきました。

つまり、家族や友人、子どもたちや自分の心を対象化しようとして切断し、

どうすれば自分の都合の良いように操作できるか、

というように考えていました。

他人も自分の心も、操作できるものではないからこそ、

思いがけないような言動や動きがあるからこそ、関わることで豊かな世界が広がっていくのだ

ということを、わかっているようでわかっていませんでした。

また、非常に興味深かったことに、「現実」の捉え方があります。

私は、自分の目で見ているこの世界を「現実」として、

今まで疑ったことがありません。

そこに机や椅子があることを、言葉を用いて他人と共有することができるので、

私の見えている世界を、隣の人も見ているのだと思って生きています。

その当たり前が、河合氏によって揺さぶられました。

河合氏は、心理療法に訪れるクライアントの幻聴や幻覚、妄想と呼ばれるようなことも、

彼ら彼女らにとっての「現実」として受け入れます。

河合氏は、人間が「現実」を把握する際、

心の中のイメージを外界のことに当てはめて認知していると言います。

そして、認知するということは何らかの実現が伴うということであり、

「いうなれば、各個人が一瞬一瞬、現実を創造しているのだ。」(本書48頁より抜粋)

と述べます。

外の世界がまず存在して、

それを目や手などの感覚器官を使って眺めている、確認している

と思っていた私は、すぐにこれを理解することはできませんでした。

この「現実」の認識を納得させてくれたのは、

就学前の小さな男の子と遊んだ記憶でした。

私は彼と外で冒険ごっこをしていました。

そこで、恐竜の首のように曲がった木を見つけ、私は彼に「仲間の恐竜だ!」と言って

彼と一緒に木にまたがり、恐竜の背から見る世界を楽しみました。

その時、その木は彼にとっては「恐竜に見立てた木」ではなく、「恐竜」であり、

それが「現実」だったんだと思えたのです。

そこにあるもの、見えるものは、

私の心の中のイメージの投影であり、私が創造している。

単純な私は、とてもワクワクしました。

唯一無二の変えられない「現実」があり、

その世界を生きなければならないと考えていたのが、

私の創った「現実」を生きることができるのか!

と思ったからです。

それは、私の好きなジブリアニメの世界や

ピーターパンの世界の中で生きることができるということではもちろんありませんが、

私の生きているこの「現実」は、絶対的なものではなく、

私の心の在り方によってでさえ変わりゆく、

実はとても儚いものなのかもしれない。

そう考えられるようになったことは、なんだか心に余裕を与えてくれるようでした。

また、私の認識している「現実」を考えることによって、

私が今このように「現実」を認識しているということは、私にとって

どのような意味を持つのだろうか?

という一歩下がった視点で考えることができると知ったことも大きな収穫です。

さらに河合氏は、「物語」の大切さとその可能性を説きます。

「かたる」ことの水平関係が

クライエントと治療者の重要な状態であると強調した上で、

心理療法とは、クライエントが自分の物語を治療者の助けを借りながら見出すことであり、

その治療過程の展開も、クライエントと治療者がともに創り出す「物語」であると言います。

さらに、事例報告の際にも、事実を事実としてのみ伝えるのではなく、

「物語」として提供されることに意味があると言います。

河合氏は、「一人の人の心に生じた重要な動機(ムーヴ)」が「物語」で語られたとき、

「伝えられた人は自分のなかで、それを意味あるものとして捉え、それを未来へとつなげてゆくであろう。それは、その人のその後の生き方に影響を与えるはずである。」(本書278頁より抜粋)

と述べています。

これは、日本にも多く伝わる神話や昔話を考えると

理解ができるような気がします。

私は、科学的な世界、客観的に実証される物事こそが正しく、社会で必要なことであり、

物語や神話などの世界は、子どもの頃のものであったり、

娯楽や趣味で楽しむものだと考えていました。

「物語」の社会の中での可能性を今まで無視してきたことを

もったいなかったなぁと思いました。

私は臨床心理士を目指す者でもありませんし、

心理療法を受ける必要があると言われるような症状に悩んでいるわけでもありません。

それでも、心理療法に興味を持ち、この本に引き込まれていったのは、

親方に言われたからではなく、自分の心について不安があるからだと思います。

私もいつ自殺志願者になってもおかしくないし、

人を殺したいというような衝動に駆られてしまうかもわかりません。

生きることに無気力になり、鬱になる可能性だってあります。

いや、紙一重だと思います。

私は、精神的に悩んでいる人を決して他人事とは思えません。

だからこそ、自分の中に治療者の存在が必要だと思って、

私の中の、自分ではどうすることもできない心をどのように扱っていくのが良いのか

を知りたかったんだと思います。

最後に、どうして親方がこの本を勧めてくださったのか、

考えてみたことを述べたいと思います。

それは、きっと「関係性」について深く理解をして欲しかったからではないかと思います。

親方と弟子の関係性

お施主様との関係性

共に家をつくる他の職人との関係性

家との関係性

材料との関係性

多くの人やものと関わる機会があります。

そのどの相手に対しても、

河合氏の述べる心理療法家としての治療者の姿勢が大切であるということを、

伝えたかったのではないかと思います。

それらを自分の都合に合わせて操作しようとするのではなく、

同じ水平な立場に立ち、同じ方向を向き、

一緒に「物語」を創りあげていくという態度。

そして、それは表面的な意識の関係では成し得ないということ。

意識から離れ、深層部にある無意識の世界の働き、

「人間の心の奥にある自律的な力」の存在を認め、その力を借りることで創造的な活動をしようと試みること。

これは、以下のようにも言い換えることができます。

”人間のため”ということから離れ、自然の生命力によるものづくり。

それが、惺々舎の家づくりであるということだと感じました。

これは、昔の人が行っていたことでもあると思います。

自然科学の考えが導入される以前、その頃の日本人は、

死後の世界や妖怪など、より多くの「物語」の中で生きていたと思います。

きっと今の私よりずっと広く多彩な世界観で「現実」を生き、

美しい自然と共に多くの創造的な活動をしてきたのだと思います。

家もその一つであり、

彼らの生きた「物語」から創造された家を、

今でも同じような姿勢で手掛けようとする惺々舎に出会えて、本当に幸せだと思います。