女子大生がなぜ大工!? その五
親に反対され、
私は惺々舎での修行を押しきることができませんでした。
・
どうして大工になりたいのか?
どうして惺々舎で修行をしたいのか?
・
うまく言葉にすることができず、
その理由をただ単に
・
「私が好きでやりたいと思ったから」
・
両親も、私自身でさえも、
それだけだと思っていました。
・
・
でも、そこにもっと深いものがあると気づかせてくれたのが深田棟梁でした。
・
・
全ての職業の中で最も多いとされる事務職。
世の中で多くの人が行っている仕事を
私も経験させてもらいました。
・
その中で実際に働きながら、
「働く」ということについて考えてみました。
・
・
そして、
なぜ私は惺々舎の深田棟梁の下で修行をしたいと強く思ったのか。
自分のやりたいこと、やるべきことが大工なのだと
再び思えるようになったのはどうしてなのか。
・
・
「家族の幸せと私の幸せ」
・
「世間の需要と私のやりたいこと」
・
・
その狭間で何度も何度も悩みながら、
深田棟梁に示唆を与えて頂きながら、
一年前には言葉にすることができなかった想い。
・
少しでも伝わればいいなと、思います。
・
・
・・・
・
・
日本建築を手がける大工になることが
私の道である。
誰が反対してもやるんだという覚悟を決めていました。
そのつもりでした。
・
しかし、
最後の最後で断念してしまいました。
・
・
その理由は、
・
自分の好きなことをやって、
自分が満足できれば、それで良い。
・
自分のやりたいと思った大工になり、
その技術を学べれば、それで良い。
・
そう思っていたことに対する反省でした。
・
・
今まで自分一人で生きてきたわけじゃない。
大学まで出させてもらい、お金もかけてもらい、
たくさん親や家族に甘えて生きてきました。
・
親の反対を押し切っていくということは、
その親に対し、恩を仇で返すということだと思ったからでした。
・
・
覚悟が、揺らいでしまいました。
・
・
一度決めたことを貫き通せなかったことに対して、
自分を見損ないました。
・
私には、できませんでした。
・
自分の人生を切り開くことが、できませんでした。
初めての、自分だけで考え、自分が導き出した選択は、
結局、自分勝手なだけでした。
・
・
悔しくて、
情けなくて、
泣きました。
・
・
どうやって物事を決めていけばいいのかわからなくなりました。
・
・
・
仕事とは、人生の中でとてもたくさんの時間を割くものです。
・
一日のうち、ほとんどの時間を過ごすことになります。
だからこそ自分のやりたいことや得意なこと、
成長、やりがいを感じられることを仕事にしたいと思っていました。
・
・
私の仕事であり、私がやるのだから
私がやりたいことで良い
と、思っていました。
・
・
しかし、
それは間違っているようでした。
・
・
学生時代のアルバイトとは違い、
人生の大きなライフイベントである就職などは
”家族の合意”
というものも必要になるということを学びました。
・
・
惺々舎へ修行に行くことが叶わず、
放心状態でいる私に、父は言いました。
・
「仕事を選択する際の優先順位を変えてみてはどうか?」
・
・
自分のやりたいことよりも、
安定的に働けること
安全に働けること
将来の見通しが立つこと
家族が喜ぶこと
これらを優先するべきだと言いました。
・
・
冒険も挑戦もやりがいも何もない
敷かれたレールの上に乗っかる仕事。
・
そんなの、面白くないと思いました。
・
・
でも、私の今までの考えは間違いだったらしいと感じていたので、
親も安心する、安定した仕事に就いてみよう。
自分に向いていないと思っても、実際にやってみよう。
そう思って、一般事務の職に就くことになりました。
・
・
その職場はお茶の水にありました。
・
勤務時間は9:00~17:00の8時間です。
家から職場までの通勤時間は30分ほど。
週休二日。
残業もなく、大体定時に上がらせてもらえました。
・
・
仕事内容は主に書類整理、パソコンへの打ち込み作業、
少しの受付業務と電話対応もありました。
・
基本的には自分の机に座っています。
冬は足元が冷えましたが、
エアコンのある部屋で、どんな天候でも支障なく仕事ができる環境でした。
・
・
職場環境としてはとても恵まれていたと思います。
何一つ不自由することはありませんでしたし、
上司の方や周りの人たちも良い人ばかりでした。
・
・
職場の周りにはレストランもカフェも
本屋も飲み屋もフィットネスクラブも神社も
なんでもありました。
・
ランチの場所に困ることもありませんし、
仕事後の飲み会の場所に困ることもありません。
・
暑気払いや忘年会、ボーリング大会などの
イベントもありました。
・
・
・
当時の私の1日を紹介します。
・
・
毎朝同じ時間に家を出ます。
電車は階段近くのいつもの車両。
電車が遅れると、満員電車です。
・
職場へ到着します。
まずトイレで汗を拭き呼吸とメイクを整えます。
・
部屋に入り挨拶をしてパソコンの電源を入れます。
靴を職場用サンダルに履き替え、
コートや上着をロッカーに掛けます。
・
メールボックスを開き、
給湯室へ紅茶を入れに行きます。
給湯室で同じくコーヒーにお湯を注ぐ職場の人と天気や電車の遅延の話をして部屋に戻ります。
・
紅茶をすすりながらメールをチェック。
一呼吸置いてから今日の仕事に取り掛かります。
・
・
電話の多い時期もありますが、
それ以外は静かです。
みなさん黙々と自分の仕事を遂行していきます。
・
お昼休憩は12時から13時までの1時間。
それぞれ外食しに行ったり、
コンビニでお弁当を買ってきて自分の机で食べたり。
・
私はお弁当を持って行っていたので、
自分の机で食べます。
・
一日中室内にいることが少し息苦しかったので、
お弁当を食べた後は散歩をしに行きます。
・
・
・
13時までに机に戻り、
午前の仕事の続きを行います。
・
定時になります。
パソコンをシャットダウンして
職場用サンダルを靴に履き替え、ロッカーに上着を取りに。
・
そして、
「お先に失礼します。お疲れ様でした。」
業務終了です。
・
・
・
初めは楽しかった飲み会も、さすがに毎週は参加できません。
・
身体は全然疲れていないのに、
頭だってそんなに使っていないのに、
家に帰ると倦怠感がありました。
・
「何もしたくない。」
・
夕食・お風呂を機械的に済ませそのままベッドへ。
・
・
月曜日から金曜日、このような毎日でした。
・
・
・
事務職は企業が事業を営むにあたって無くてはならない裏方の仕事です。
私の毎日の作業も、無くてはならないから存在しています。
・
しかし、誰かの役に立っているという実感は
あまり感じられませんでした。
・
むしろ休んでも、辞めても、
私の代わりはいくらでもいて、誰も困らない。
・
そんな思いが私を憂鬱にさせていきました。
・
・
何も楽しくなく、
心から笑うことが少なくなっていきました。
・
・
精神的疲労から何もやる気が起きなくなり、
気がつくと時間だけが過ぎている日もありました。
・
ひがみやすく、
小さなことでイライラしやすくなりました。
数分の電車の遅れや、信号待ちなどでもイライラしている自分がいました。
・
一番虚しかったことは、
この仕事は自然と隔離されていて、
その美しさを愛することも守ることもできないということでした。
・
・
・
惺々舎へ修行をお願いするにあたり、
私は三度ほど、深田棟梁とお話をさせていただきました。
・
その時私は、
日本人の伝統文化、その技術や美的感性が好きだということだけではなく、
自然環境が人間の文明によって破壊され続けていることに対する憤り、
日本の教育は一方的で子どもの創造性や自由が活かされていないと思ったこと、
深田氏はシュタイナー学校の家づくりの授業をされた経験をお持ちでしたので、
シュタイナー教育やその他のオルタナティブスクールについて、
みんな同じリクルートスーツを着て一斉に行う就職活動に対する違和感、
オーストラリアでの自然に近い生活体験とその時の満足感のこと
などの話もさせていただきました。
・
・
棟梁は私に、
昔の日本人が持っていた世界観について教えてくださいました。
・
棟梁のメールには、このように書かれていました。
・
「昔の日本人は、この世界が平穏であり、自分たちが幸福な生活を営むためには、
人間以外の自然や生きとし生けるもの、目に見えないものを大切にすること、
神仏に祈りを捧げながら暮らすことの大切さを経験的・直感的に知っていました。
・
だからこそ、家造りでも人間だけの都合に合わせて作るのではなく、
素材となる木や土や石、
周囲の森や川や大地が気持ちよくあるように家は作られていました。
・
また、物質的な目的だけのために家があるのではなく、
私たちの内的世界が豊かであるように様々な工夫が凝らされ、
素材・構造・間取り・意匠それらすべてが自然の摂理に添うように作られていました。
・
伝統構法の家を作るということは、
私たち人間が見えないものを感じる感受性を育む場と空間を取り戻すための試みであり、
とても大切な仕事なのです。」
・
・
このメールを読んで、
いっそう私は伝統構法の大工になりたいと思ったのです。
・
単に家を建てる大工ではなく、
そのような昔の日本人の感性や考えを大切にした家を建てたいと思ったのです。
・
・
また棟梁は、両親が反対する理由の一つとして、
両親が選んだ職業と、私の求める職業の違いを教えてくださいました。
・
棟梁は、
・
「公務員やサラリーマンを選ぶことで、
物質的現実の安心や安定を得ることが出来る反面、
それと引き替えに自由や創造性が制限されます。
・
職人・芸術・芸能の道を選ぶことで、
内的に自由で創造的な人生を得ることが出来る反面、
それと引き替えに安心や安定が犠牲になります。
・
御両親は前者を選択し、
職業はお金を稼ぐための手段として割り切り、
家族の生活の安心と安定を得ることを優先しました。
・
あなたは後者に魅力を感じ、選択しようとしています。
・
どちらが正解ということではなく、
どちらにより価値を置いているかということではないですか。」
・
と仰いました。
・
・
あぁそういうことか
と、思いました。
・
・
だから私は、こんなに恵まれた環境であっても、
心が満たされないのだなぁと思いました。
・
・
私は大学時代、
自然が大好きだったので、
自然のためになる仕事がしたいと思いました。
しかし、そのような仕事を見つけることはできませんでした。
・
オーストラリアでのファームステイ体験後、
日本の伝統構法の大工になり、
技術の継承とその魅力や価値を多くの人に知ってもらいたいと思いました。
・
この二つは、あまり関係がないと思っていました。
・
しかし、棟梁と話をしていく中で、
それらは繋がっていきました。
・
・
私は伝統構法の技術を身につけたいです。
身につけて、心安らぐ和の空間をつくりたいです。
そこで、日本人がかつて持っていた豊かな生き方の知恵を肌で感じてもらいたいです。
・
伝統構法では、日本の無垢の木を使用します。
国産の木材の需要が増えると、現在衰退してしまっている林業の仕事が増えます。
そうすると、山や森林の手入れがされるようになります。
また、昔の家は再利用や修復ができ、
長い年月をかけて大切にすることができます。
全て自然の素材でできているので、有害物質も出さずに自然に還ります。
・
日本の昔の家は、自然を家の中へ取り入れる工夫が随所に見られます。
光や風、虫の音や草花の香りなど自然を身近に感じることのできる家です。
そのような環境で暮らすことは、自然に対する愛情や感謝の気持ちを育みます。
・
何より、昔の日本人の暮らしを知り、学ぶことは、
問題多き文明社会に生きる私たちにとって
これからの持続可能な生き方を考える上でもとても意義深く重要なことです。
・
・
この繋がりが見えたことは、
とても大きな喜びでした。
・
1年前の、漠然と大工になりたいと思っていたことが、
私の理想の社会に繋がっているようでした。
・
私の理想の社会とは、
自然がもっと身近で、自然と人間が共に心豊かな社会です。
そして、日本の財産である伝統文化を守り続けられる社会です。
・
・
私は、自分の選択を信じたいと思うようになりました。
・
・
伝統構法を用いて家づくりを行なっている工務店は
数は少数ですがいくつかあります。
・
しかし”伝統構法”と一言で言ってもその定義は曖昧で、
どこまでこだわるかは工務店によって差があるようです。
・
・
惺々舎の伝統構法は、自然の摂理に沿った昔ながらの家づくりです。
現代の利益目的の家づくりは行なっていません。
素材にも環境にも心地良いようにするための家づくりです。
そこに妥協はできません。
・
・
利益よりも信念を優先して家づくりをしている工務店、
素材の心まで思いやる家づくりをしている工務店を
日本中探しても、他に見つけることはできませんでした。
・
木造大工の技術を学べるところならどこでも良い、
という考えから、
惺々舎で、深田棟梁の下で修行したいと思うようになりました。
・
・
・
事務職員を始めて1年。
・
両親に、今の職場を辞めることと、
やはり惺々舎で大工の修行をしたいことを告げました。
・
・
彼らは納得はしていませんでしたが、
1年間、働きながら考えたことをある程度理解してくれました。
・
生活できなくなったらすぐに諦めて帰ってくることを条件に、
宮城へ行くことを一応了解してくれました。
・
・
一年前、一度弟子入りをお願いしたのに断るというご迷惑をおかけしたにも関わらず、
棟梁は快く受け入れてくださいました。
・
・
棟梁の言葉がなければ、
私は自分の見つけた道に確信が持てず、諦めてしまうところでした。
社会に対する問題にもやもやしながら、
それを見て見ぬふりをして過ごすことになっていたかもしれません。
私の気持ちを私以上に大切に想ってくださいました。
・
・
・
伝統構法の大工になれる。
深田棟梁の下で修行ができる。
・
心が震え、鳥肌が立ちました。
・
・
その一方で、
両親の望む職につき、安心させることができないことに対する申し訳なさを感じました。
・
・
2019年4月。
私は頭を坊主にし、宮城へ向かいました。
・
・
・
私はこの25年間の人生の中で、
山や海、美しい自然に何度も感動させられました。何度も涙を流しました。
それらの自然を目の当たりにできることはとても幸福なことでした。
・
それは昔の人たちが未来の私たちのために守ってきてくれたものでした。
同じように100年後200年後の子どもたちにも
日本の良さ、地球の自然の美しさに感動してもらいたいと思います。
・
だから、未来のために今、大切なものを守るための
大工の修行生活が始まりました。