なぜ大工道を志したのか その四

日本建築における伝統技術を学びたい

大学卒業から4ヶ月。

ようやく、本当に心から

やりたいことが見つかりました。

次にやることは

それを学べる場・環境を見つけることです。

今回は、惺々舎との出会い

と、それによって私が感じたことについて

綴ってみたいと思います。

・・・

大工になるには多くの場合、師弟制度です。

親が大工の家であれば、

小さい頃から現場を見たり、仕事を手伝ったりしながら育ちます。

中学や高校を卒業した後、

弟子入りをして本格的に技術を身につけていきます。

技術職は、経験がものを言う世界です。

私は大学を卒業しています。

高卒で弟子入りをした人と比べて、

すでに4年もスタートが出遅れている

そんな出遅れ感がありました。

そして、

あまり考えないようにはしていましたが、

もう一点。

男女共同参画社会・女性の社会進出が進み、

「男性の仕事」や「女性の仕事」

といったステレオタイプは徐々に減ってきてはいます。

女性の仕事だと考えられていた看護婦さんを

”看護師”と呼ぶようにもなりました。

男性も女性も、その性別に関わらず

どんな職業にも就くことのできる社会

この時代に生まれたことは幸運でした。

しかし、

全ての職業で男女の数の差が是正されているとは言えません。

私のなりたい大工は男の職業です。

まだまだ女性の大工は数が少なく、

いるという話もあまり聞きません。

やる気があれば、受け入れてくれる。

そう信じてはいましたが、

女性であるという理由で断られるのではないか。

といった不安もありました。

大工になりたいんだ

大工になるんだという気持ちで

そういった不安を隠すようにしながら、

修行する工務店探しが始まりました。

大工といっても

私は昔ながらの木組みの技術である継手・仕口を学びたいと思っていたので

どの工務店でも良いというわけではありません。

日本伝統の柱や梁で支える構造の建て方を、

「木造軸組構法」と呼びます。

呼び名や分類には諸説あるようです。

建築基準法が制定された後の一般的な分類で言うと

その中には「在来工法」と「伝統構法」があり、

私がやりたいのは後者のようでした。

在来工法は

戦後になって普及した、

大量生産に適した木造建築物の構法です。

構造はほとんどがプレカット工場で製造され、

接合には金物を使用し、省力化されています。

柱や梁などの構造材は合板や石膏ボードなどで覆われて見えないつくりです。

現在の木造住宅の多くはこの工法で建てられているようです。

伝統構法は

西洋建築の影響を受ける前の日本古来の建築の構法で、

自然素材を扱い、木組みで接合していきます。

大工の手刻みの技術と経験、十分な時間が必要になるため

扱える工務店も限られ、

経済・効率優先の社会において

伝統構法の建物の数は徐々に少なくなっているようです。

さらに

「木造枠組壁工法(ツーバイフォー工法)」という

工法も北米から輸入されました。

木造枠組壁工法は、

19世紀に熟練の技を持つ職人が少ない、

といった事情からアメリカで生まれました。

規格化された木材と合板を用いて造られる工法です。

均一サイズの角材と合板は工場で大量生産でき、

大工は既成サイズの材料を組み立てていくという

単純な工法であるので、

高度な技術は必要ありません。

通り道、家を建てているなぁと思っていたら、

一週間程で建ってしまって驚いた経験があります。

工期が短いのが特徴です。

手間と時間と費用。

それだけをみたら確かに在来工法やツーバイフォー工法の方が低コスト=効率的です。

周りを見渡すと、今や伝統構法の建物を探す方が大変です。

社会が効率的経済的なものを求めてきた結果だなと思いました。

でも、そのひと手間や時間をかける意味や、

値段ではなく産地や育ち方、質で選択すること。

なぜ昔の大工はそのようなやり方で建てたのか

なぜその組み方なのか

なぜその材料をそこに使用したのか

なぜその材料を選んだのか

きっとそれぞれに長年の知恵や経験を伴う答えがあり、

それによってあの、

静寂で、気持ちがスゥッとなるような

凜とした空間が生まれるのではないかなぁ

人が時を過ごす空間を、

今後長い間そこに佇み存在する環境を創造する上で、

そのコストは必要で大切なことなのではないかなぁ

と思ったりしました。

だから、在来工法やツーバイフォー工法の家が増え、

伝統構法の建物が少なくなっていることに一抹の寂しさを感じ、

いよいよ私は伝統構法の大工でなければ意味がないと思いました。

工務店を検索し始めると、

伝統構法で建物を建てている工務店の数の少なさに驚きました。

社寺建築や重要文化財を修復しているような工務店、

茶室などの数寄屋建築を得意としている工務店にいくつか電話をかけ、

修行をしたい旨を伝え、履歴書を送りました。

現在は弟子を募集していません。

今まで女性を受け入れたことがないので・・・

など、

会って話をさせてもらう前に断られてしまいました。

現場へ来てもいいと言ってくれた工務店もありました。

しかしそこでも、

女性であるということで

途中で仕事を辞めてしまうのではないか

ということを言われました。

やはり女性であることがネックになるなぁと思いました。

インターネットを中心に工務店を探し続けました。

日本建築

宮大工

数寄屋建築

木造建築

弟子、見習い募集

伝統構法

これらのワードを検索していると、

惺々舎のホームページを見つけました。

まず目を惹きつけたのが、

ホームページトップの開放的で梁が美しい鴨川の家の写真でした。

この写真を見た瞬間、

心がドキドキしました。

そこに流れる風

その風の音

心地よい日差し

木の香り

木のぬくもり・・・

その写真からいろいろなものが伝わってきました。

こんな素敵な家を建てている工務店があるんだなぁ

と感動しました。

履歴書を送ったところ、

パンフレットと1枚の手紙が送られてきました。

その手紙には、

大工の世界は一般企業とは異なり師弟制度であること

労働条件は最低限であること

一通りの仕事ができるまでに最低5~6年かかること

修行は厳しく、覚悟がないと迷惑がかかること

しかし、修行に専念できる環境であること

が記されていました。

修行の環境として、

私の求めているものだと感じました。

面接の機会をいただき、

宮城県の作業場を訪れました。

作業場は、15年前に親方が伝統構法で建てた建物です。

上を見上げると思わず「わあ」と声が出てしまいました。

大きく立派な松の梁が印象的な作業場です。

こんな場所で仕事をしているなんて素敵だなぁと思いました。

なぜ大工になりたいと思ったのか

という話から始まり、

教育や社会に対する疑問や違和感についてもお話をしました。

親方がシュタイナーの学校で授業をしたことがある

という話には驚いたと同時に

とても素晴らしい経験をされている方だなぁと羨ましくもなりました。

そしてその日、

平凡社・渡辺京二著の「逝きし世の面影」

という本をいただきました。

幕末に外国人が見た日本人

について記されている本です。

私は読んで驚きました。

そこに記されている日本人は

現在と比べて不便で貧しい生活をしているはずなのに、

とても良い表情で生き生きと暮らしていました。

経済力を上げ、

便利なものに囲まれて

やりたいことができる現代

その一方で

他人を信頼できなくなり

人々は疲れ、癒しを求めている世の中

文明ってなんなんだろう。

進歩ってなんだろう。

そんなことを思ってしまいます。

他国にはない様々な伝統文化を築きあげてきた古の日本人の感性や美意識

暮らしの中で大切にされてきた仕来りや習慣

自然との関係の取り方

私たちはご先祖様から学び直さなければならないことがたくさんある

もしかしたらそれは

私の気になってる環境問題や

社会問題の解決の糸口になるかもしれない

そう感じました。

「家」という毎日の生活を営む場所には

住む人たちの思想や習慣が現れます。

家を知るということは、そこに住んでいた人を知るということです。

昔の日本人の建て方は、

そこに住む人にとっても心地よいだけでなく、

材である木や土にとっても心地よい

と、親方が教えてくださりました。

自然の材と一緒に、お互いに心地よいものをつくっていく。

とても良いなぁと思いました。

親方とお話をして、より

「昔の日本人」と「家」

について興味を持つようになりました。

昔の家で暮らす

その空間で時を過ごす

ということは、

昔の日本人が感じていたものを感じられると同時に

心の奥深くにある、

なんだかはっきりしないけれども

とっても大事なことを

大事にできる暮らしなのかもしれないと思いました。

惺々舎はただ単に家を建てているだけではない。

その裏には、

古の日本人の思想や感性を大切にしながら、

社会と未来に対する親方の様々な想いがある。

そう感じましたので、

私はぜひ惺々舎で

昔の日本人の暮らしや考え方について学び、

昔ながらの伝統構法で

生き方の基礎となる環境である家を建てる大工になりたいと思いました。

私は奇跡的なこの出会いに心から感謝しました。

ぜひ惺々舎で修行をしたいとお伝えしたところ、

後日、

親方から弟子として受け入れてくださるという旨の連絡が来ました。

私の人生をかけてやりたいことが見つかり、

それがまさにできる場所と親方に出会えた。

そしてそこで修行することが許された。

未来へ大きく一歩を踏み出せる

そう思い、本当に本当に嬉しかったです。

しかし、

私はすぐに宮城へ行くことはできませんでした。

これまで、

私は誰に相談するもなく

独断で行動していました。

親に就職先が決まった、

大工になる

と報告したところ、

大大大反対でした。

今思えば、わかります。

親としては、

少しでも良い環境、良い給料で働けるようにと思って

大学へ行かせてくれたんだと思います。

教師にならないのはまだ許せるとしても、

なぜ大工なのか。

なぜ厚生年金も社会保険もない日給の大工なのか。

意味がわからなかったと思います。

休みはあるの?

そんな日当で生活できるの?

修行後はどうするの?

結婚は?

子どもは?

少子高齢化で人口も減る、空き家も増えているのに

新築の需要なんてなくなる。

木工を趣味でやればいいじゃないか。

またやりたいことが変わるかもしれない。

自分のやりたいことよりも

人のためにできることを仕事にしなさい。

つまり、

考え直せ。

ということでした。

私の大工になりたい理由、

惺々舎で修行をしたい理由の半分くらいは

感覚的な直感でしたので、

うまく言葉で説明することができなかったことは私の反省点です。

しかしその当時、

私はこう思っていました。

私の人生は私が選びます。

就職先だって私が選びます。

働くのは私なのだから、例え親であっても関係ないでしょう。

なぜそこまで口出しをするの?

学生時代からずっと悩んできたことが

ようやく見えてきたのです。

そこに向かって一歩を踏み出そうとしているのに、

なぜそれを邪魔するの?

これは、

大工は、

私の人生です。

決めたのです。

譲りたくないです。

ごめんなさい。

”良い子”にはなれません。

今までで一番の反抗だったかもしれません。

私は親を説得できなくても行くつもりでした。

それを悟ったのでしょう

親は言いました。

それでも行くなら、

縁を切る、と。

私は

どうすることもできませんでした。

意見が食い違い、理解してもらえなくても、

私はお母さんもお父さんも大好きなんです。

その二人ともう会えなくなる

それはあまりにも悲しく、

想像できませんでした。

お前の大工への覚悟はそれまでか、

と言われてしまえばその通りです。

私は家族を捨ててでも大工になる

ということはできませんでした。

目の前にあった光が

引き離されていきました。

私は結局なんの、誰のために生きているのか

わからなくなりました。